旅人と観光客の違いを考える。ポール・ボウルズ『シェルタリング・スカイ』

  • 2021年2月21日
  • 2024年8月23日
  • 読書

砂漠を横断するラクダの写真

「旅人」と「観光客」って、違うの?

旅が好きな人なら、きっと一度は考えたことがあるのではないでしょうか。

私も10代のときから旅人に憧れ、東南アジアをバックパッカーとして長期に渡って旅をしたことがあります。

「観光客」としてではなく、「旅人」として世界を見てみたかった。

その時も今も、「旅人」というものへの憧れがなくなることはありません。

別に違いなんてないんじゃないの?と考える人もいるかもしれません。

「旅人 観光客 違い」とGoogleで検索すると、実に約1,490,000件のページがヒットします。

これだけ多くの人がこの二つの言葉の違いに興味を持っていることになります。

「旅人」と「観光客」、この二つの間には明確な違いあります。

少なくとも、そう考える人が大勢います。

しかし、それでいてその違いはいまだ解明されていません。

今日は、本や映画の中で出会った言葉に注目し、「旅人」と「観光客」の違いについて考えてみたいと思います。

観光客と旅人の違いとは?シェルタリングスカイから考える

『シェルタリング・スカイ』はアメリカ人作家のポール・ボウルズが1949年に発表した長編小説です。

3人のアメリカ人によるサハラ砂漠での旅を描いた作品です。

作品内に旅人=旅行者(travelers)と観光客(tourists)を比較した文章がでてきます。

自分は観光客ではなく旅行者に属する、と彼は思い込んでいたが、彼の説明によると、この両者には一つには時間の点で相違している。観光客というものは、おおむね数週間ないし数ヶ月ののちには家へ戻るのに対して、旅行者は、いずれの土地にも属さず、何年もかけて、地球上のある場所から他の場所へとゆっくり移動する

シェルタリング・スカイ-p11

主人公格であるポートは戦前から南米やヨーロッパへ旅にでていました。

そんな彼にとって、旅行者でいるということは、家へ帰ることさえ前提とせずに、長い時間をかけて地球上を移動する人だということです。

1990年公開のベルナルド・ベルトルッチ監督による映画版では、このことを会話で簡潔に表現されています。

物語冒頭、ニューヨークから航路できた3人が北アフリカの港町に降り立ちます。

港町に到着後、一番若いタナーが、年上の夫婦であるポートとキットに旅行者と観光客の違いについて尋ねるシーンがあります。

キット
観光客?旅行者よ
タナー
どう違う?
ポート
着いて、すぐ帰ることを考えるのが観光客
キット
旅行者は帰国しないこともある
英文(-映画『シェルタリング・スカイ』より)
“We’re not tourists. We’re travelers.”
“Oh.What’s the difference?”
“A tourist is someone who thinks about going home the moment they arrive.”
“Whereas a traveler might not come back at all.”

つまり、家に帰ることを前提に旅行にでるのが観光客、時には帰国さえしない旅行をするのが旅行者=旅人であると言えると思います。

旅人は可能か?

さて、ここまで読んで思うことは、旅人って無理じゃない?ということです。

例え数ヶ月におよぶ旅だとしても、帰るということは前提にします。

帰る家さえ失って旅にでるのは、ちょっと考えられません。

これでは、旅人のハードルが高すぎます。

でも、私はこう考えます。

「家に帰る」という意識の在り方にこそ、旅人と観光客の違いがあると。

ここでいう「家」とは文字通りの意味ではなく、概念的に解釈します。

「家」には自宅のほか、故郷や自国の文化、文明、習慣など、自身の生活の中にある当たり前や常識という意味が含まれているように考えます。

小説版のシェルタリング・スカイでは、両者の違いについて、下記のように続きます。

観光客と旅行者とのいま一つの重要な相違は、観光客が彼自身の属する文明を疑問なしに受け入れるのに対して、旅行者はかならずしもそうではない点にあるからである。旅行者は、おのれの文明を他の文明と比較し、それらのなかから、おのれの好みに合わぬとみとめた要素を拒否する。

シェルタリング・スカイ-p12

物語の舞台は第二次世界大戦後、1947年の北アフリカです。

旅行者は自身の文明と他の文明とを比較し、好みに合わない要素があれば、例え自身の文明に属するものでさえ拒否すると説明しています。

私はここに「家」の在り方を見て取ります。

帰るべき「家」の意味とは?

「家」に帰らないこともあるというとき、それは比喩としての家なのだと考えます。

帰るべき「家」とは、家族のいる場所、昔から知っている友達がいる街、勝手知ったる裏道、住み慣れた地元、阿吽の呼吸で読み取れる習慣、言語の通じる国家、そうした安心する場所です。

そこを離れ旅をすれば、別の「家」と出会うことになる。

別の「家」を受入れ、帰るべき「家」を失うかもしれない。

つまり、今の「家」を失う可能性を秘めている状態を旅人と呼ぶのではないでしょうか。

それは、とても危険な香りに満ちた態度だと私は思います。

ですが、その危うさにこそ、旅人というものにひかれる理由があるのではないでしょうか。

今後、これに関しては連載として、他の本も取り扱いながら考えを深めていきたいと思います。

次はマルクス・ガブリエルの『なぜ世界は存在しないのか』から考えてみたいと思います。

まとめ

以上、ポール・ボウルズの「シェルタリング・スカイ」から旅人と観光客の違いを考えてみました。

作中では、北アフリカを旅する3人のアメリカ人は、三者三様の結末を迎えることになります。

1950年代のビートニク世代に影響を与えたアメリカ文学の金字塔です。

映画ではサハラ砂漠の美しい景色も魅力です。

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ねづ店長のワンポイントアドバイス

世界に真っ直ぐぶつかっていく態度、それが旅人かなって思うよ。