ポール・ボウルズ『雨は降るがままにせよ』感想とあらすじ|ニューヨークからタンジールへ

雨は降るがままにせよ書影

ポール・ボウルズの小説『雨は降るがままにせよ』は、1952年に出版されました。

『シェルタリング・スカイ』に続く第2作目として発表され、日本では1994年に翻訳がでています。

作者のポール・ボウルズがモロッコのタンジールに移住したのは1947年、小説はタンジールを舞台に描かれています。

ここでは『雨は降るままにせよ』の感想とあらすじを紹介します。

『雨は降るがままにせよ』あらすじ

おれは危なっかしい時点にいる、たったいまおれという存在はないにひとしい、ダイアーはそう思った。保証された平穏な世界を捨て、実現しそうもないはかない夢を追い求めている、みなはそう言い、おれ自身もうすうすそう思ってはいた。過去はいまさら呼び戻せない。しかし、新たな現在はまだはじめられていない。 新たな現在をはじめさせるためにはウィルコックスに電話しなければ。

『雨は降るがままにせよ』-p17

『雨は降るがままにせよ』はニューヨーク出身のネルソン・ダイアーが刺激を求めてモロッコのタンジールへとやってくるシーンから始まります。

戦後まもないタンジールは、国際管理地域時代で、コスモポリタンの様相を見せています。

アメリカ人やフランス人、イギリス人にスペイン人など、さまざまな国の人がタンジールで暮らし、本国にはない自由やエキゾチックな環境を楽しんでいます。

タンジールには、そうした外国人を相手に暮らしているモロッコの現地人もいます。

ダイアーはタンジールの街でそうした外国人や地元のモロッコ人と交流していきます。目的をもたないダイアーは様々な人の思惑に翻弄されながらも、タンジールでの生き方を模索します。

自分が死者たち、あるいははるか昔に作られた映画の登場人物たちに囲まれているような気分になった。彼らが話をしているその声は何年も前のもののようだった。彼らとコミュニケートできると騙されて思い込まないようにしなければならない。

『雨は降るがままにせよ』-p144

タンジールで暮らす人たちからは、どこか現実離れした印象を受けます。

幻想のような街で暮らす人々、街にはマジューンやキフが溢れていて、やがてダイアーも進められたマジューン(ハシシ)を吸って、思いがけない運命へと進んでいきます。

ネタバレを含んだ詳しいあらすじは、下記をクリックすると表示されます。

詳しいあらすじはここをクリック

ニューヨーク出身のネルソン・ダイアーが、フェリーでタンジールの港へとおりたつ。NYからあてもなくタンジールへとやってきたが、父親のつてでジャック・ウィルコックスという旅行代理業を営む男から仕事を紹介してもらう予定になっていた。

ウィルコックスと最初のコンタクトをとった後、一緒にド・ヴァルヴァーディ公爵夫人(デイジー)のパーティーに招かれ、親しくなる。デイジーはダイアーにウィルコックスの事業はうまくいっていないと忠告する。

ダイアーはバーでタミという現地の男と親しくなり、一緒に映画を見る。タミはベーダウイ家というタンジールの名家の末っ子だが、兄たちとは疎遠であり、エムサラという貧しいエリアに住んでいる。ダイアーは魔王というバーで現地の女であるハディージャと出会い、金を払いハディージャを抱く。その際にタミに金を借りる。ダイアーはハディージャにひかれ、ピニニックに誘う。

イギリス領事の娘であるユーニス・グッドもハディージャを気に入り、自分のホテルへ頻繁に呼び寄せている。ユーニスはハディージャが自分の元にいないときは娼婦をしているのではないかと気にしている。ハディージャとダイアーの関係も気がかりとなる。

ウィルコックスはイギリス通貨調査官アッシュカム・ダンバーズと共謀して人知れずポンドを持ち出すためにダイアーを利用しようと企む。ダイアーには今は仕事がないからと休ませ、時期がきたら呼ぶと伝える。

ダイアーはデイジーと一緒にベーダウイ家のパーティーに参加する。そこにはタミやユーニス、ハディージャも参加している。ユーニスはジュベノン夫人をダイアーに紹介する。ジュベノン夫人は翌日、ダイアーに会おうと誘う。デイジーはジュベノン夫人はロシアのスパイだとダイアーに教える。実はユーニスもダイアーを陥れるためにジュベノン夫人を紹介していた。

翌日、ダイアーはジュベノン夫人と会う。インターナショナルゾーンに集まるアメリカ人のスパイになるようもちかけられ、前金として500ドルを受け取る。ユーニスは面会の様子をジュベノン夫人から伺い、アメリカ領事館にたれ込む。

タミはビジネスのために船を欲しがっている。ハディージャとの縁から画策し、ユーニスから船を買うための金を受け取る。ハディージャに会いたいダイアーと、ハディージャを独占したいユーニス、ハディージャを利用し、ダイアーとユーニスの感情を動かしていくタミの思惑がからむ。

ダイアーがウィルコックスに呼ばれる。その前にスパイの仕事の前金を受け取ったことを気に病み、アメリカ領事館によるか悩む。ウィルコックスの仕事はポンド両替のメッセンジャー・ボーイ(受け子)だった。ラムラルから受け取るが、タンジールではポンドで入金できないため、ペセタに両替するためショクロンの両替商へいく。そこでダイアーは大金を一時的に手にする。タミが話していた船の話を思い出し、タミに会って今夜、船を貸してほしいと頼む。

デイジーから電話がきて、家に呼ばれる。夫のヴァルヴァーディ公爵は不在。夕食後、デイジーがダイアーにマジューン(ハシシ)を渡す。ダイアーはマジューンの効果に懐疑的だったが、やがて酩酊する。ダイアーは裸で倒れれていたが、やがて正気に戻る。デイジーの家をでてタミと合流する。

タミの船でジブラルタル対岸を目指す。ウィルコックスの仕事の金を持ち逃げし、不正にタンジールを離れたダイアーはタミの奥さんの実家所有の山小屋に身を隠す。タミは奥さんの実家へ顔をだしたりする。ダイアーはタミの意図をはかりかねている。二人はマジューンで気持ちよくする。タミは寝静まる。ダイアーはタミの頭に釘を打ち込む。

デイジーが山小屋へとやってくる。デイジーの屋敷を離れるときにタミと一緒なのを見て心配していた。デイジーはウィルコックスやジュベノン夫人、アメリカ領事館のことなど、ダイアーがタンジールで経験したことのほとんどを知っていて、タンジールへの迎えつのつもりできていた。タミの遺体を見つける。「これはあなたが?」と言い残し、デイジーはダイアーを残してその場を去り、ダイアーは取り残される。

舞台設定と時代背景

ここにいるとニューヨークにいるのとまったく同じ気がするとおっしゃっているから、それは べつに驚くべきことではありません、タンジールはニューヨーク以上にニューヨーク的だとお話したんですよ。あなたもそう思わない?

『雨は降るがままにせせよ』-p137

舞台となっているのは国際管理地域(インターナショナル・ゾーン)時代のタンジールです。

タンジールはジブラルタル海峡にのぞむモロッコの港湾都市で、海峡を挟んでスペインと向かい合っています。

古くからヨーロッパ側からアフリカへ向かう玄関口の一つとして知られています。

1912年以降、いくつかの段階を経てフランス、スペイン、イギリス、イタリア、ポルトガル、アメリカの国際管理区となり、自由貿易港として発展しました。

1956年のモロッコ独立の際にモロッコに返還されました。

『雨は降るがままにせよ』の出版は1952年、ボウルズがタンジールに移住したのは1947年。国際管理地域時代のタンジールを内側から描いた作品です。

作品でもアメリカ、イギリス、フランス、スペイン、ポルトガル、そしてタンジールの現地民であるモロッコ人の複雑な人間模様が描かれています。

主な登場人物

ネルソン・ダイアー
ニューヨーク出身。銀行の窓口に10年いた(戦前も戦中も戦後も)。20歳で銀行の輸送部に就職した。父親が銀行の副頭取と知り合いだった。戦争の時は預金部に移動した。戦争の役に立つ仕事につきたかったが、心臓に異常があって戦争には行ってない。刺激を求めてタンジールへとやってきた。父親や母親に対して複雑な思いがある。

ジャック・ウィルコックス
ダイアーの10歳ほど年上。タンジールで旅行代理業を営んでいるが、商売はうまくいっていない。ウィルコックスの父親がダイアーの家のホームドクターで、その縁でタンジール滞在中のダイアーの仕事の面倒を見るよう紹介される。

デイジー・ド・ヴァルヴァーディ侯爵夫人
40歳。黒い巻毛、目は紺色。インターナショナル・ゾーンに住んでいる。タンバンという重病の雄のシャム猫を飼っている。アメリカ人を晩餐に招くのが好き。夫のヴァルヴァーディ公爵はスペインに領地をもっていた。

タミ
タンジールの名家であるベーダウイ家の5人兄弟の末っ子。父親から寵愛されていた。父親を失ってからはキフを吸うようになり、女遊びをはじめる。15歳のころから酒を飲んでいる。エムサラという貧しい地域で妻のキンザや赤ん坊と暮らしている。

ベーダウイ家の兄弟
タミの兄たち。ヨーロッパ人を招いてパーティーを開いている。

ユーニス・グッド
朝から酒を飲む肥満体の淑女。暇を持て余している。ハディージャに執心している。

ハディージャ
バー魔王で働くモロッコ人の娘。美人で、貧しい家の出身。

『雨は降るがままにせよ』感想

前作の『シェルタリング・スカイ』では、旅の中で暮らしているポートという男性が中心に描かれていました。

ニューヨーク出身のポートは究極的なものを求めて旅を続けており、地元へは戻らないことを考慮しながら、旅の中で果てていきました。

対して、本作のダイアーはニューヨークという街から、タンジールという街へ刺激を求めて一時的に訪れています。

『シェルタリング・スカイ』が秩序から無秩序への移行を描いているとしたら、『雨は降るがままにせよ』は秩序から別の秩序への移行を描いています。

雨降りの描写「let it come down」

小型のフェリーボートが桟橋に横づけにされたときは夜になっていた。タラップを降りるダイアーの顔に、 風が生温かい雨滴を突然吹きつけて来た。乗客はまばらで、いずれもまずしい身なりをし、ボール紙でできた鞄やら紙袋を手にしている。

『雨は降るがままにせせよ』-p14

『雨は降るがままにせよ(Let it come down)』はシェイクスピア『マクベス』のセリフからとられています。

バンクォー「雨かな、今夜は」
第一の刺客「大降りだぞ」
(他の二人がバンクォーを襲う)

『マクベス』福田恒存訳

作中でも雨降りの描写が多く、どこかジメジメとした湿度がまとわりつくような雰囲気が全編を覆っています。

「30年後」という書き出しの中で、ボウルズは1952年のタンジールは、インターナショナル・ゾーンの終焉を告げる前兆のあった年だと言っています。

雨降りということ自体が、とても危険な前兆を漂わせています。

ダイアー以外の登場人物は当時のタンジールにいた人たちをモデルにしているとか。

読めば、過ぎ去りし日のタンジールの雰囲気を感じられると思います。

モンスターの時代

彼女は笑って言った。「ああ! あなたは生きているという実感を味わいたいのね!」ダイアーはコーヒーカップと皿を床に置いた。「え?」「あなたがここへはじめていらしたときにうかがいましたわね、人生でいちばん求めているものは何かと。 そうしたら、生きているという実感を味わいたいとおっしゃいましたよ」

『雨は降るがままにせせよ』-p252

ネルソン・ダイアーは刺激を求めてタンジールへとやってきてました。ニューヨークでは父親のコネで就職した銀行の窓口業務を10年経験しています。戦時中は戦争の役に立つ仕事を望みましたが、心臓に異常があって戦争には行けていません。

おまけに、タンジールでも父親のツテでウィルコックスに仕事を紹介してもらう段取りになっていて、自立しきれていない自分から両親への負い目も抱いています。

ダイアーはとても平凡で、どこか頼りない。とても小説の主人公とは思えないほどに消極的です。

目的意識や悪巧みをもったインターナショナル・ゾーンの住人の前では、モラトリアムの青年であるダイアーは都合の良い働きをさせられるばかりになります。

そんなダイアーですが、現地の娘であるハディージャや、北アフリカの太陽を浴び、生きることのシンプルさに想いをはせるシーンがあります。

生きるために生きるということが、生きてい る個々人の絶対的な事実なのだ。 だから食べている。 寝そべって日光浴をしている自分を意識していること がダイアーには喜びだった。

『雨は降るがままにせせよ』-p207

ダイアーにタンジールでおこる様々なことを忠告するデイジーという女性がいます。デイジーは、わたしたちはみな非道な怪物であり、現代は怪物の時代だと言います。

ダイアーはシンプルな生を求めて、タンジールへの観念を育てていき、やがてタンジールの街からも逸脱していく結果になります。

もう一つの沈黙

ふたりは坐って静かにマジューンを食べた。この不可思議な物質を飲み 込んだら、これから何時間か生命の主導権を握る見えざる力に身をゆだねることを、それぞれふたりとも意識していた。

『雨は降るがままにせせよ』-p309

『雨は降るがままにせよ』は4章構成なのですが、最終章のタイトルが「もう一つの沈黙」です。

国際管理地域時代のタンジールという街は、誰も彼もが無秩序に振る舞っているようにうつります。

ニューヨークからやってきたダイアーには、なおのことです。

それでも、物語が進んでいくと実は無秩序の中にも秩序があることが分かってきます。

特に最後の場面では、インターナショナル・ゾーンの住人は、ゾーン内でおこっていることを実はよく把握していることが明かされます。

ニューヨークという街の秩序の外側にでたのはよいけれど、タンジールという街にも別の秩序があることをダイアーは理解していないように見えます。

キフやマジューンを吸っているときのように、実在している世界でおこっている現象ではないかのような錯覚に陥ったのではないか。

「もう一つの沈黙」という章タイトルには、こうした不可視な街の秩序体系が込められているように感じます。

『雨は降るがままにせよ』まとめ

以上が『雨は降るがままにせよ』のあらすじと感想です。

日本語版は既に廃版になっており、中古のみとなります。

ポール・ボウルズは90年代に日本でも再評価の波がおこり、各種作品が翻訳出版されましたが、現在はどれも廃版になっています。

文庫化や新装版の出版があるといいのですが。

作者のポール・ボウルズについて

作者のポール・ボウルズは1910年のニューヨーク生まれです。

幼少期から声楽や音楽理論を学び、ストラヴィンスキーやエリック・サティの影響をうけて育ちました。

1930年に初めてのソナタを完成、音楽家としてデビューし、ジョン・ケージらとの交流をもちます。1937年にはテネシー・ウィリアムズの劇音楽をつとめるなど、音楽家としての地位を確立していきます。ポール・ボウルズはまず、音楽家として世に知られることになりました。

1938年には作家のジェイン・アウアーと結婚。
ニューヨークで音楽家としての地位を築きあげようとしていた1947年、彼はジェインとともにモロッコのタンジールへと移住します。それは思いつきのようなものではなく、彼らはタンジールを終の棲家とし、ジェインは1974にポール・ボウルズは1999年にそこで死去しました。

ポール・ボウルズが小説を書き始めたのは、ジェインからの影響ともいわれていて、1945年に最初の短編集を発刊します。

そして、タンジールへ移住した2年後の1949年に初の長編作品である『シェルタリング・スカイ』を発表しました。
日本でも1955年に翻訳され、1990年にはベルトリッチ監督のもとで映画化されています。

この作品が与えた影響力は凄まじく、バロウズやギンズバーグは彼を慕いタンジールを訪れ、1950年代のビートニクス文学への興隆へと繋がっていきました。

ねづ店長のワンポイントアドバイス

社会秩序の外には別の社会秩序がある。その移行の瞬間、ふわっとしたどこにも属さない自由な感慨がわきあがるときがあるけど、足元をすくわれないように気をつけていこうね。

『シェルタリング・スカイ』あらすじと感想|映画版と原作から